トイレのつまりの必勝法
スキー場は、雇用に与える影響が大きいですから、いきなり閉鎖するというような乱暴なことはしないと思いますが。
もともとは森林を切り開いて、そこに無理矢理レジャー施設をつくって、土地の付加価値を高めていたのです。
レジャー施設が閉鎖になれば、価値はもとにもどる。
あたりまえの話ですが。
J社の開発したスキー場やゴルフ場は、ある意味、バブルの象徴ともいえるものでした。
J社のリストラは、バブル最後の後始末といえるかもしれません。
土地神話などともっともらしく言われますが、こうした不動産関連業者が人為的につくったものなのだということを、早く日本人は認識すべきだと思います。
五年後に地価が半値になるというお話ですけど、それでも地価が上がることを信じて疑わない人は多いですよね。
その根底にはいまだに、「土地神話」があるのだと思います。
数年前に、「土地神話は崩壊した」という活字を新聞や雑誌で頻繁に見ましたが、それを率直に受け止めている人は少ないのではないかという気がします。
まだ多くの人が、「土地は、いつかまた必ず上がる」と強く思っています。
だから不動産や不動産投資信託が売れる。
土地が値上がりしていた時期が長かったですからね。
バブル崩壊までの戦後四〇年間、日本の地価は一貫して上がり続けました。
その上昇率は常に経済成長、所得、収益、金利などあらゆる経済指標を上回つていました。
これは世界的に例のない特殊な状態ですよね。
でもアブノーマルも慣れるにしたがいノーマルと感じてしまうのが人間というものらしく、いつしか土地は、「何があろうとも絶対に値下がりしない」と思われるようになりました。
私は、なるべく早く日本人がこの呪縛から解放されたほうがいいと思っています。
それでここでは、「土地神話」というものが、いかにつくりあげられ、崩壊していったかを振り返ってみたいと思います。
戦後の地価高騰の始まりは所得倍増計画戦後地価の動向を見ると、一九八〇年後半から一九九〇年の「バブル景気」を含めて、三度の地価高騰がありました。
以下にまとめてみることにしましょう。
所得倍増計画による地価高騰一九六〇年に発足したI内閣の、「所得倍増計画」による地価高騰。
「所得倍増計画」は、一〇年間で実質国民所得をほぼ二倍にすることをめざした経済計画だが、当時の経済成長のテンポを考えれば手の届かない計画ではなく、実際の成長もこれを上回った。
I内閣は計画達成の手段として、産業基盤の充実を目標とし、京浜、阪神、名四など太平洋ベルトの拠点開発を進め、このため工業用地が大きく値上がりした。
翌六一年には、地価が対前年で四二・五%上がり、不動産投資ブームの先駆けとなった。
私は、「所得倍増計画」が打ち出される一年前の一九五九年に生命保険会社に入りまして、七〇年頃から、その会社で個人向の住宅融資を行なう部署に配属されました。
いまでいう住宅ローンということですね。
ただ、その当時、住宅ローンは今ほど一般的ではありませんでした。
その頃の不動産業界というのは、ややいい加減なところがありまして、融資するときに売買契約書を見ると、そこに書かれている数字がどうも疑わしいのです。
数字というのは、不動産の売買価格のことです。
当時いわれたことに契約書は三種あり、本物価格の他に、住宅ローン用の高い価格、税務署用の安い価格のものです。
提出された契約書を見て不動産業者に確認の電話をしても、なかなか本当のことを言ってくれない。
ひどいときには契約書の金額と不動産業者の言う金額が何割か違っていることもありました。
一桁違うということもありましたか?
そこまではいかなくてもずいぶん高かったり、安かったりということはありました。
ただ、当時は地価が右肩上がりで上昇していましたから、不良債権になることはほとんどありませんでしたが、もう少しきちんとした不動産価格を知る手段がないものかと思ったものです。
「列島改造論」により土地神話はゆるぎなきものにPさんが保険会社で個人向け住宅融資の担当になられたすぐあとに二番目の地価上昇がやってきます。
2列島改造による地価高騰一九七一年、田中角栄内閣が打ち出した「列島改造論」による地価高騰。
田中角栄の改造論は日本海沿岸や山間の過疎地帯まで、日本全国に経済成長の成果を均等に配分しようというもの。
太平洋側に集中している工業地帯を日本全国の拠点都市に分散し、これらの新都市問を新幹線と高速道路でつないだ。
時を同じくして起きた「ドルショック」を緩和するために行なった金融緩和の行き過ぎと相まって地価が高騰。
改造論の対象地域に限らず日本全土におよび、東京圏の地価は前年比三六%も上昇した。
これによって、土地神話はいよいよゆるぎないものになりました。
「働かなくてもいい。
うちには土地がある」と不動産所有者たちは、その後二〇年にわたる長い夢を見始めたのです。
私は一九八〇年に独立して、不動産鑑定と融資を行なう会社をはじめました。
「列島改造ブーム」が終わりかける頃で、そのツケが回ってきたという時代です。
不動産鑑定の引き合いが多くて初年度から黒字が出ましたので、融資のほうは止めて、不動産鑑定に特化していきました。
Pさんの会社は金融機関を主な顧客として不動産鑑定を行なっている会社ですよね。
不動産鑑定に特化していったときに、自分が使う側の金融機関だったらどうかということで、いろいろ考えました。
まず一つは、絶対に正確でないといけないということです。
いい加減な鑑定額を出していたら金融機関に使ってもらえない。
それから評価の手数料は安くないといけない。
金融機関は採算を考えると思いますので、簡単に頼めるような料金でないといけない。
金融機関間の競争も激しいのでスピードも上げなければならないし、それから全国規模でないといけない。
全国規模ですか?たとえば都市銀行だと、青森でも沖縄でも住宅ローンを貸し付けています。
青森では預金は集めたけれど、不動産鑑定ができないから住宅ローンは貸せませんよ、というわけにはいかないでしょう。
それには全国規模の組織が必要ですけど、コストもだいぶかかるのではないですか。
従来の不動産鑑定会社は、不動産鑑定士を自社で抱えていました。
全国ネットで鑑定するなら、全国に支店を持って、自社のスタッフに鑑定させていました。
ただ、そうなると人件費がかさむので、私の会社ではすべて外注方式でお願いをすることにしました。
業と士の分離です。
こうすることで、地元の鑑定士に地元の物件の鑑定を依頼するために評価の内容も正確で、今までよりもずいぷんと安い価格で鑑定できるようになりました。
同業者からの風当たりは厳しかったんじゃないですか。
そう、結果として特に料金面で、不動産鑑定業界をかきまわしたことになりましたから。
バブル経済期・絶頂を迎えた土地神話でもお客である金融機関には喜ばれたでしょう。
加えてその当時の金融機関は鑑定結果に対し、口をはさむことはいっさいありませんでした。
私どもが一億円と評価すれば、一億円でした。
ところが、バブル経済期になるとそれが変わってくるのです。
バブル経済は、一九八五年九月のプラザ合意に端を発する。
八〇年代前半の米レーガン政権は、異常なドル高に悩まされていた。
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